忍者ブログ

白樺寄語

中国近代建築・史跡・中国語・中国生活

   
カテゴリー「近代建築・史跡」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

遼寧総駅(現遼寧省瀋陽市)

満鉄による鉄道輸送の独占状況を打開するために張作霖が商埠地に建設。
1927年の着工、1930年竣工。和平区総駅路100号に位置する。



中国近代建築家である楊廷宝の設計。
1988年に現在の瀋陽北駅が建設されるまで、瀋陽の鉄道輸送の
中心的役割を果たす。その所以から「老北駅」とも呼ばれる。

商埠地は満鉄付属地と旧市街(奉天城)の間にあり、北市・南市を抱える
商業地域であった。皇寺(北市)からこの遼寧総駅に至る道、つまり、
現在の阜新街一帯は所謂「駅前商店街」で、北市の目と鼻の先であることもあり、
当時は相当な賑わいだったらしい。


(写真は皇寺を東側から撮影したもの。手前に見える銅像は清朝の歴代皇帝。
右奥には「北市場」の名を掲げた門が見える。)


(皇寺の隣には錫伯族の廟がある。)
※錫伯族・・・シベ族、またはシボ族。清朝満州族、つまりは女真族の
一支族。古代鮮卑の末裔。もともとは大興安嶺一帯に居住していた民族だが、
4世紀ごろ南下、16世紀末にヌルハチの満州軍に征服される。
満州軍に従軍し中国各地に駐屯。特に新彊にその末裔が多く居住。
満州語・満州文字を伝承する数少ない民族。
(参考資料:Wikipedia)

現在もこの遼寧総駅の建物は瀋陽鉄路分局の事務所として使われているが、
周囲のビルの谷間に埋もれ、その存在すら忘れ去られている観がある。

建設工事の始まった1927年の翌年1928年6月4日、
張作霖は関東軍の仕掛けた爆弾により北京から奉天に戻る途上、
皇姑屯三洞橋(満鉄付属地北)にて爆殺される。
(張作霖爆殺事件。または皇姑屯事件。)




現在の皇姑屯三洞橋。
写真中央奥に事件発生地であることを記す黒い石碑が見えるが、
線路外からの確認は困難。(線路脇を広告板が覆っている。)

写真では分かりづらいが、手前から奥が北京~瀋陽線(当時の京奉線)、
左右の高架が大連~長春線(当時の満鉄連長線)。
大連から瀋陽へ向かう列車上から一瞬だが石碑の確認が可能(高架進行方向左手下)。

張作霖はこの場所で大怪我を負い、瀋陽故宮南にある官邸兼私邸(張氏帥府)に
運ばれるが、そのまま絶命する。(一説には私邸に到着する前に絶命したとも。)

過去の歴史を後世の残そうとしての石碑だが、そもそもその場所に
たどり着けない状態。急速に経済成長が進む瀋陽で、
取り残された過去の遺物と化している。

経済成長が優先されるのは理解できるが、いつの日か、こういった過去の遺物が
保護され、一般にちゃんと公開される日が来ることを願うばかりだ。


<参考資料>
・百度百科

拍手[0回]

PR

更新画像

プロフィール

年齢:46
性別:男性
職業:会社員
趣味:中国を知ること。
自己紹介:中国生活16年になりました。

ブログ内検索

Copyright ©  -- 白樺寄語 --  All Rights Reserved
powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]