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白樺寄語

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東北三省総督府(現遼寧省瀋陽市)


瀋陽故旧と張師府の間、北通天街と盛京路の交差点付近にある東北三省総督府。
清朝末期の総督、奉天軍閥の張作霖、張学良親子もここで公務を執った。

この地はかつて清朝最高軍政機関である盛京将軍府の
置かれた場所でもあった。(1747年)
※「盛京」はこの地に都城を構えた後金(後の清王朝)時代の瀋陽の旧称。

当初清王朝では、満州族の故地満州にあたる東北三省には総督を置かず、
奉天府と呼ばれる独自の行政制度で統治をしていたが、1907年(光緒33年)、
東北改制を期に他の省に併せて東三省総督府を設置した。
ロシア、日本がこの東北地方の権益を巡って争った時期であり、
東三省総督は直隷総督と同様に重要なポストとされた。





※清朝末期歴代総督
徐世昌(Xú Shì Chàng)1907年6月12日~1909年2月8日
錫良(Xī Liáng)               1909年2月8日~1911年4月20日
趙爾巽(Zhào ěr Xùn)     1911年4月20日~1912年2月12日

清朝滅亡後、1914年に鎮安上将軍行署と改称される。
後、盛武将軍・奉天督軍であった張作霖、奉天軍務督弁・東三省保安司令
であった息子の張学良もこの地で公務を執り、奉天軍閥の大本営として機能した。
満州事変後、満州国が建国されると1932年奉天省公署として
東北三省の政務を統括する場所ともなった。

新中国成立後は遼寧省紡織研究所(現在の紡績工業非織造布技術開発中心)が
1988年まで使用していた。

かつてこの建物は壁に四方を囲まれており、左右翼には南側に張り出した
建物があったが現在は消失している。



建設から既に100年以上が経過しており、この建物は倒壊の危険があると
されている。写真の通り、正面入り口には「此処危険(この場所危険)」の
看板が置かれており、建物内部へは入れない。ガラスも割れ、雑草も伸び放題、
見るに無残な姿。



この地区の街道弁公室の主任の話では、かつてこの建物は所有会社の
「宿舎」として使用されており、内部も住居化しているとのこと。
倒壊の危険があるため全住民が退去した後も未だに老夫婦2名が暮らしいるらしい。

この東北三省総督府の建物の現状については、瀋陽の新聞で何度も
取り上げられており、多くの市民が価値ある歴史的建造物の消失を危惧し、
修復と保護、博物館化などが叫ばれている。

昨年2011年末には、所有会社である遼寧省建築紡織設計院(上写真右端の建物)が
2000万元を投じて修復工事を2012年から始めることを明らかにしている。
(2月時点では工事が始まる気配はない。)

早い時期での修復工事の開始に期待する。




(古写真は奉天省公署時代のもの。中国のサイトより転用。)


<参考資料>
・百度百科
・Wikipedia(日本語)

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